終りのない旅・4
アリティア城.2
左の肩が痛い…
さすが大賢者と呼ばれるだけあって反撃は生半可なものではなかったが、こちらもだてに何千
年生きているわけではない。
馬鹿な老人…いつかはこんな日が来るとわかっていたであろうに。平和な月日とすっかり穏や
かになった自分を信じきって安心してしまったみたいだ。
全部が偽りの笑みとは知らずに…
左肩を盾にしてとどめを刺した。あれから半日もたっていないが、肉の感触が手から離れない。
己の血と返り血で全身血だらけになりながら夜の城下をふらふら歩いていた。
アリティア国内でも雨が降り続いている。もう冬が近いのであろう、冷たい風と雨が全身と傷
口を刺すように打ち続けていた。
「このまま返り血流れてくんないかな〜このままじゃ帰るにも帰れない…て、その前に寒さで
死んじまうかな?」
へらへらと軽口を叩きながらアリティア王城へと足を向かわせる。時間はすでに深夜に近いた
めか、人通りが少ないのがせめてもの救いだ。こんな全身血だらけの若者がふらふらと歩いて
いたら速攻警備隊に通報されかねない。打ち付ける雨音も幸い足音を消してくれている。
…早くあの優しくあたたかい場所へと帰りたい。
朝、目を覚ますと部屋中があたたかい光に包まれ、寝坊をすれば誰かが必ず起こしに来てくれ
る。…そして穏やかな時間の中の、他愛のない会話とふざけあい。
誰もがにこにこと笑っていれば自然と集まって来てくれる。
…本当の自分を知らない…何も考えなくていい平和な時間…
「こんな時間なら、見回りもかなり少ないかな?さっさと帰って、さっさと寝るか♪」
なにかを吹っ切るようにチェイニーは夜の城下町を駆け抜けた。
城内に侵入するのは思ったよりも、かなり簡単だった。
見張りはいたが、この雨と暗闇ではそんなものは無力に等しい。もっとも人間に見えないスピ
ードで動けば、さして問題はないのだが今のこの状態では少々辛い。
(見つかったら見つかったで、行方不明者が出るだけだったけどな)
気配を殺しながら自分の当てられた部屋へ戻ろうとした。が、その手がぴたりと止まる。
(…誰かいる…)
部屋の中から人の気配を感じる。
瞬時に泥棒かと思ったが、気配はどうやら落ち着いて動いている様子はなさそうだ。
鼻を鳴らすと嗅ぎ覚えのある匂いだった。チェイニーはふっと笑みをこぼしそのままドアノブ
に手をかけた。
「こぉ〜んな遅くまで、人の部屋で何やってんだ?」
「やぁ、おかえり、チェイニー。それは僕のセリフだよ。一体こんな時間まで何をやっていた
んだい?」
扉を開けると、そこには予想どうりマルス王子の姿があった。
かなりの時間を待っていたのだろうかテーブルの上には装丁の厚い本が数冊山積みにされてい
る。
部屋は暖炉で温めていてたのか入り口にいるだけでも暖かい空気が、冷えた身体を包み込む。
「ちょっとおでかけしてただけじゃん♪ひゃぁ〜あったけぇ。外は大雨で俺、全身ずぶぬれよ」
陽気に笑いながら暖炉の方へと向かい、濡れた身体を暖めるように両手で身体を包みぶるぶる
と震えてみせる。
チェイニーがマルス王子の横をすり抜けようとした瞬間、マルス王子は鉄臭い異様な匂いを感
じ、眉をひそめた。
嗅ぎ慣れた匂い…
決して慣れてしまってはいけない、だが慣れなくては生きてはいけなかった悲しい鉄の匂い…
何度この匂いを嗅いでは吐き気を感じただろう…
「…チェイニー…?」
「へっ!?」
とっさに横を通るチェイニーの腕を掴み立ち止まらせる。チェイニーは不思議そうに目をぱち
くりとまばたきをして、何事かと首をかしげた。
椅子から立ち上がり身体を近寄らせると、やはり濃厚な鉄の匂いが鼻を突く。
忘れもしない。この匂いは戦場でよく嗅いだあの匂い…
「血の匂いがする…」
チェイニーの顔をよくよく見れば、寒さのせいも手伝ってか血の気を失っており、頬にもうっ
すらと傷が残っていた。
「わかっちまった?いやはや、町中で酔っ払いと喧嘩しちまってさ、俺弱いじゃん。もう散々
な結果よ♪」
たいして気にはしていないのか、チェイニーはけらけらと笑いマルス王子の腕を離そうとする
ふとその顔が一瞬だけ歪んだように見えたのは気のせいではないだろう。
無意識に左腕を庇っている。
「…怪我をしたのは左の肩だね。応急処置をしておくから傷口を診せてくれないか?」
「そんな〜王子様に診てもらう程たいした傷じゃねぇよ」
「ここまで匂うのは相当の血の量だと思うけど?もし僕に傷を手当てさせてくれないのだった
ら王宮付きのシスターを呼んでくるけど、いいのかい」
「…ありゃりゃ〜…シスターは勘弁してほしいなぁ。酔っ払いに絡まれて怪我して帰ったなん
て、みっともなさすぎ」
大袈裟にため息をつくチェイニーにマルス王子は、それみた事かと微笑みを浮かべる。
「だったら大人しく僕に任せた方がいいだろ」
「はい〜はい」
言われた通りに、大人しくチェイニ−は上から羽織っていたマントを脱ぐと、今までマントで
抑えられたいたのであろう鉄臭い血の匂いがいっそう強くなった。
全身が黒の服に包まれているのでよくよく見ないとわからないが、全体的に服を血で濡らして
いるようだ。さらに脱いだ上着を持つ手が赤く染まっているのが見える。
部屋に設置されている応急用具を片手に持ちながらマルス王子はチェイニ−を椅子に座るよう
に促す。
肩の傷はそうとうな代物だったが、全身を濡らす程酷くもなく応急処置でなんとかごまかせる
程度だった。これならば一ヶ月は大人しくしていれば傷は塞がるだろう。
むせかえる血の匂いの中、マルス王子は無言で手当てをしていく。
戦時中にでも習ったのかマルス王子の手当ては適確で無駄がいっさいない、手慣れたものだ。
「…なぁ、何でなにも聞かないんだ?」
沈黙に耐えかねたのかチェイニ−は言葉をもらす。
「何を?」
手当てに集中している為にマルス王子は目を向けずに返事をする。
その仕種は少し怒っているかのようだった。
「普通なら『こんなに血を流して平気なのか?』とか『大丈夫か?』とか聞くじゃん。お前
俺の事心配じゃないのかよ〜」
「だってこれ半分は君の血じゃないだろう?」
「…え…?」
「もしこれが全部君の血だったら僕は気にするけれど、そうでないのなら何も聞かないし関
係もない。例えこれが僕の知っている人物の血だったとしてもね。君がここに無事でいて
くれている事がすべてだ…違うかい?」
「………」
「それに君はこちらから聞いても素直に答えてくれはしないだろ?だったら、君が言いたく
なるまで大人しく待つ事にするよ。…いつか君が心から僕を信頼してくれる日が来るまで」
「…俺、マルス王子の事、信頼しているけど?」
「そうかい?ありがとう。じゃあいつの日か君の本音を聞かせてくれるかな」
少し寂しそうにマルス王子は微笑むとチェイニ−の目を覗き込む。
遠い昔に、同じ瞳をチェイニ−は見た事がある…
そう、それはこの王子の遠い先祖…アンリ…
ただ一人、自分が心を開いて認めた人間。
(だてに血は引いてはいないってわけかな…)
どこかこの王子とアンリは似ていた。かもしだす雰囲気や仕種…そしてなにより人の本質を
見抜く瞳。
最初はやはり乗り気ではなかった。メディウスが復活し戦争になったとしても自分には関係
がないと思っていた。
…マルス王子のこの瞳を見るまでは…
「…俺が今、守ってやりたいと思っているのはお前とチキだけさ。後は何もいらないし必要
もない。この答えじゃ不満かな♪」
おどけながらもチェイニ−は本音をちらりと見せる。
(守りたいもの、大切なもの…あの時あいつが気づかせてくれたもの。守るためならなんだ
ってする。おどけて周りが安心するなら道化人にもなれるさ)
「充分かもしれないね。むしろ光栄なくらいだ。でもチェイニ−…これ以上、君は傷つかな
いでいてほしいと思うのは僕の我が侭かな?」
「…何の事を言っているのかわからないね♪」
ウインクをして言葉をかわすチェイニ−は普段の彼そのものだった。
いつもの朝がやってくる。
平和で穏やかな時間…
不安材料はすべて消した。しばらくはこのまま平穏な時をすごしてもいいのかもしれない…
それは、いつまでもつかは誰もわからないが…
「ほら、君が手を握ったらこの子は安心した顔をして眠っているよ」
「きっとこの子には君の考えている事を肌で感じられるんだね」
「君の大切なものはここにちゃんとあるだろう?」
「…お前の名前は…?」
「アンリだ」
「…ひとつだけ約束してやるよ。お前がもし死んでも、お前の子孫とこいつだけは守ってやるってな…」
はるか昔に交わされた約束…
永遠ともよべるこの命があるかぎり、それはきっと守られ続ける約束。
たとえ何があろうともずっと、永遠に…
END
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